【天満宮ってどんな神社?】神様やご利益、成り立ちをわかりやすく解説!

神社めぐりをしていると、

この神様ってどういう神様なの?

どんなご利益があるの?

よく見るこれにはどんな意味があるの?

と疑問に思うことがありますよね。

そんな疑問を解決するため、神社の神様やご利益、成り立ちについてわかりやすく解説していきます!

 

今回は、長野をはじめ全国に広く祀られている天満宮(てんまんぐう)をご紹介します。

神社にまつわる知識が増えると、神社めぐりが何倍も楽しくなります!

天満宮にお参りする機会がある方は、参拝前の予習にぜひお役立てください(*´◒`*)

 

天満宮(てんまんぐう)とは

天満宮とは

天満宮は、菅原道真公を御祭神に祀る神社で、「天神社」「菅原神社」も含め、全国に約1万2000社あります。

その多くは、《天神さま》と呼ばれ、親しまれています。

総本宮は福岡県の太宰府天満宮です。

菅原道真公は学業の神様として広く知られており、受験シーズンは合格祈願に訪れる方も大勢います。

天満宮の境内には、菅原道真公が愛した梅の木が並び、撫で牛の像が置かれいます。

菅原道真公の誕生日と亡くなった日が25日だったため、多くの天満宮では例祭や縁日が25日に開かれます。

天満宮の御祭神とご利益

天満宮

天満宮の御祭神は菅原道真公(すがわらのみちざねこう)です。

菅原道真公は、平安時代初期の845年に貴族の家に生まれ、学者・政治家・詩人として活躍しました。

詩や文章に秀でた秀才で、政治においてもメキメキと頭角を現し、右大臣に抜擢されました。

しかし、その才能に嫉妬した左大臣・藤原時平らが「道真は宇多上皇を裏切り、陥れようとしている」という噂を流し、無実の罪を着せられた道真は太宰府に左遷されてしまいます。

道真の死後、天災や戦乱が起こり、人々はこれを「道真の祟り」として恐れました。

そのうち、菅原道真は生前の無念や怒りによって天候を司る火雷天神になったと言われるようになりました。

道真が「天満大自在天神」という天候を司る神様として太宰府天満宮や北野天満宮に祀られると、朝廷の守護神として崇敬を集めます。

詩や文章に優れていたことから、学業の神様としても信仰されるようになりました。

学業成就、合格祈願、芸能向上、厄除け、五穀豊穣、出世など

 

天満宮の成り立ち

天満宮

菅原道真公を祀った最初の天満宮は、919年創建の太宰府天満宮です。

菅原道真が無実の罪を着せられ太宰府に左遷されてから2年後、道真は汚名をそそぐことなく、903年に病気で亡くなりました。

905年には、太宰府の地に道真を祀る霊廟が建てられました。

道真の死後、道真の左遷を企てた者が相次いで亡くなり、都では災害が続きました。

人々は、これを道真の祟りだと恐れ、道真に太政大臣の階位を贈って怒りを鎮めようとします。

しかし、その後も関係者の急死や災害は収まらず、各地では戦乱も起こりました。

「菅原道真は生前の無念や怒りによって火雷天神になった」と信じられるようになり、祟りを鎮めるべく、919年霊廟の上に社殿が創建されたのが太宰府天満宮の始まりです。

 

有名な天満宮

天満宮

特に有名な天満宮には、以下があります。

  • 太宰府天満宮(福岡県太宰府市)
  • 北野天満宮(京都府京都市)
  • 大阪天満宮(大阪府大阪市)
  • 防府天満宮(山口県防府市)
  • 湯島天満宮(東京都文京区)

太宰府天満宮は観光地としても有名で、年間約1000万人もの参拝客が訪れるそうです!

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知っていると楽しい!天満宮の豆知識

天満宮の牛の像がうずくまっている理由

天満宮

天満宮の牛像が伏せた格好をしているのは、道真の墓を決める際のエピソードに由来します。

私が死んだら遺体は牛車に乗せ、牛が止まったところに葬ってほしい」という遺言を残していました。

道真の死後、門弟・味酒安行が道真の亡骸を牛に引かせて運ぶと、牛は太宰府天満宮の地で足を止め、伏せて動かなくなりました。

そこに霊廟を築いて御霊を祀り、のちに太宰府天満宮となりました。

菅原道真は、丑年生まれで、牛を特別に可愛がっていたそうです。

天満宮において牛は「神の遣い」とされ、牛の像を撫でると、撫でた箇所の病が治るなどのご利益がいただけます。

 

菅原道真公は学問の神様として寺子屋でも祀られた

天満宮

江戸時代に寺子屋が普及すると、菅原道真公は学問の神様として、寺子屋に祀られるようになります。

幼少の頃から、熱心に勉学に励んだ菅原道真は、生徒たちが目指すべき鏡として尊敬されました。

子供の守り神として、生徒や親、地域の人々からも親しまれる、身近な神様となっていきました。

 

神童と称された菅原道真の幼少期

天満宮

菅原道真は、幼少の頃から勉強熱心で、特に詩や文章でその才能を発揮しました。

5歳で和歌、11歳で漢詩を詠み、神童として将来を期待されました。

道真が幼少期に作った漢詩には、梅の花が取り入れられ、幼い頃から梅の花が好きだったことが伺えます。

18歳で歴史や漢文を学ぶ紀道伝の文章生になるとより一層勉学に励み、祖父の代から3代に渡って文章博士(紀道伝の教官)となりました。

その後、政治においても手腕を認められ、藤原時平と並んで太政官のツートップとして活躍しました。

 

史実に学ぶ御祭神の伝説

菅原道真左遷の関係者が相次いで死亡した「道真の祟り」

天満宮

菅原道真の失脚を目論んだ藤原時平は、道真に無実の罪を被せ、道真は太宰府に左遷されることに。

左遷から2年後の903年、道真は自らの無実を訴えながら太宰府で亡くなります。

しかしその後、道真の左遷に関わった人々が相次いで死亡します。

藤原時平は、道真の死から5年後の908年に、39歳の若さで病死。

道真の後任として右大臣に就いた源光は、鷹狩りの最中に泥沼に転落して溺死してしまいます。

他にも、道真が仕えた醍醐天皇、道真の左遷阻止を妨害した道真の弟子・藤原菅根らも急な死を遂げます。

また、平安京の清涼殿で朝廷の要人らが会議をしている最中に落雷し、多数の死者が出ました。

これらを「道真の祟り」と恐れ、怒れる神様となった菅原道真を祀り鎮めようとする動きが起こりました。

 

菅原道真は本当は右大臣を辞職したかった

天満宮

第59代宇多天皇の頃になると、藤原時平は左大臣、菅原道真は右大臣として、ともに太政官を率いました。

ただ、58代天皇の時代に太政大臣を務めた藤原基経の長男として生まれた藤原時平に対し、菅原道真は貴族といえど学者の家の生まれ。

時平に比べると身分も低く、道真の出世を良く思わない人々からの中傷も増えたことで、道真は右大臣辞任を申し出ましたが受け入れられませんでした。

宇多天皇が、息子の醍醐天皇に譲位する際、「道真を引き続き重用せよ」とのお達ししたことから、道真がどれだけ能力を買われていたかが分かります。

 

まとめ

天満宮

菅原道真公を祀る天満宮、天神社、菅原神社は全国に約12,000社あり、太宰府天満宮が総本宮です。

菅原道真公は、平安時代初期に学者・政治家として活躍するも、無実の罪で太宰府に左遷されてしまいました。

道真の死後、都で要人の急死や天災が相次ぎ、「道真の祟り」として恐れられます。

道真の御霊を神様として祀り、怒りを鎮めるために、道真の霊廟の上に社殿が造られ、太宰府天満宮となりました。

詩や文章に秀でた道真は、学問の神様として今も大勢の方から親しまれています。

 

天満宮や菅原道真公のことを知れば知るほど、参拝がもっと楽しくなります!

ぜひ天満宮にお参りの際は、いろいろ注目してみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました(*゚▽゚*)

天満宮MV
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