神社めぐりをしていると、
この神様ってどういう神様なの?
どんなご利益があるの?
よく見るこれにはどんな意味があるの?
と疑問に思うことがありますよね。
そんな疑問を解決するため、神社の神様やご利益、成り立ちについてわかりやすく解説していきます!
今回は、長野をはじめ全国に広く祀られている「諏訪神社(すわじんじゃ)」をご紹介します。
神社にまつわる知識が増えると、神社めぐりが何倍も楽しくなります!
近日、諏訪神社にお参りする機会がある方は、事前に予習なんていかがでしょうか(*゚▽゚*)
諏訪神社(すわじんじゃ)とは
諏訪神社は全国に約25,000社あり、総本宮は諏訪大社(長野県諏訪市周辺)です。
御祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)。
その妻・八坂刀売神(やさかとめのかみ)と二柱合わせて「諏訪大明神」や「諏訪大神」として祀られていることが多いです。
諏訪神社は、《お諏訪さま》という愛称で呼ばれることもあります。
総本宮の諏訪大社では、7年目ごとに、「御柱祭」という例大祭が行われます。
山からモミの木を切り出して諏訪大社の上社・下社まで曳き、境内の四隅に柱を建てるという珍しいお祭りで、日本三大奇祭の一つと言われています。
諏訪大社で御柱祭が行われる年や翌年には、全国の諏訪神社でも同様のお祭りが催されます。
諏訪神社の御祭神とご利益
諏訪神社の御祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と、妃・八坂刀売神(やさかとめのかみ)です。
多くの諏訪神社では、二柱を合わせて「諏訪大明神」として祀っています。
古事記によると、高天原から降りてきた建御雷神が、地上で国を治めていた大国主神に「地上の国を天の神に譲ってほしい」と交渉した際、大国主神の御子である建御名方神は、国譲りに大反対しました。
建御名方神は建御雷神に戦いを挑むも、敗北し、信濃国の諏訪湖まで逃げてきました。
諏訪湖まで追ってきた建御雷神に対し、建御名方神は「この地から永久に出ない」と誓い、許されたといいます。
諏訪地方には、建御名方神は出雲からこの地にやってきて先住神らを征服し、国を築き上げたという神話が残っています。
諏訪大明神は、水や風の神様として信仰されてきました。
古来、水や風を司る神様は、龍や蛇の姿をしていると考えられていて、諏訪大明神も龍神と信じられました。
諏訪大明神が龍や蛇として登場する伝承も多く残っています。
また、水や風は農耕の収穫量を左右する重要な要素。
そのため、農耕や開拓の神様として、農民らからも厚く信仰されていました。
軍神として武将からも崇敬され、坂上田村麻呂や武田信玄らが、諏訪大社で戦勝祈願を行いました。
武田信玄は、「諏訪南宮上下大明神」と書いたのぼりを掲げて戦に出陣するほど、熱心に心を寄せていました。
諏訪神社の成り立ち
全国の諏訪神社の中で、最初に神社として成立したのは、諏訪大社です。
諏訪大社は上社の本宮・前宮、琵琶湖を挟んで、下社の春宮・秋宮の4社から成ります。
いつ創建されたかわからないほど古くからあり、日本最古級の神社と言われています。
日本書紀には、第41代持統天皇(在位690年〜697年)が勅使を派遣したとの記載があります。
また、上社本宮の近くにある5世紀前半ごろ築造の「フネ古墳」からは、諏訪信仰と関連のある剣や呪術に用いる道具などが出土しています。
このことから、古墳時代にあたる5世紀前半には、既に地域に欠かせない重要な存在だったことが窺えます。
諏訪大社から分霊された諏訪神社は、全国に10,000社以上あるそうです。
明治時代まで、上社の大祝(おおほうり・諏訪大社神官の最高位)は代々、建御名方神の末裔である諏訪氏が務めました。
有名な諏訪神社
特に有名な諏訪神社には、以下があります。
- 諏訪大社(長野県諏訪市周辺|信濃国一之宮)
- 片瀬諏訪神社(神奈川県藤沢市)
- 五社神社・諏訪神社(静岡県浜松市)
- 鎮西大社諏訪神社(長崎県長崎市)
片瀬諏訪神社は723年創建で、諏訪大社から他国へ分霊された諏訪神社の中では最古と言われています。
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知っていると楽しい!諏訪神社の豆知識
本殿を持たない「諏訪造り」の建築様式
諏訪大社の上社本宮、下社春宮・秋宮には本殿がなく、古来の祭祀形態を今に伝えています。
特に、上社本宮の建築様式は「諏訪造り」と言い、拝殿の左右に片拝殿、後ろに幣殿が連なっています。
諏訪大社本宮の旧社殿が移された乙事諏訪神社(長野県富士見町)でも、諏訪造りの社殿が見られます。
上社には本殿の代わりに磐座があり、守屋山を御神山としています。
下社では御神木を、神様の宿る御神体として崇めています。
春宮では杉の木、秋宮ではイチイの木が御神木です。
御祭神の末裔家の「大祝」が生き神として崇敬された
明治時代まで、御祭神・建御名方神の末裔である諏訪氏が、諏訪大社の最高神官「大祝(おおほうり)」を務めていました。
現在は、諏訪大社上社では守屋山を御神山として拝していますが、明治までは大祝を生き神として崇敬していました。
古来より神様は、身体を持たない存在と感えられていました。
建御名方神が8歳の男児に自らの装束を与え、「この子を自らの身体とする」と告げたのが大祝の起源と伝承されています。
大祝は、諏訪大社上社前宮の神殿(こうどの)に住んでいました。
諏訪大社、諏訪神社に御柱が建てられる理由
諏訪大社の例大祭「御柱祭」は7年ごと、寅と申年に行われます。
木から樹齢200年のモミの木16本を切り出す《山出し》、切った木を上社へ20km、下社へ12km曳き回す《里曳き》を経て、諏訪大社上社・下社4宮の境内の四隅に御柱が建てられます。
御柱となる木は御柱祭の一年前に選ばれ、切り出した木は長さ17m、重さ10tほどもあります。
各宮に一之柱〜四之柱までが建てられ、一之柱が最も長く太く、以降は順に短く細くなっていきます。
本宮一之柱には全ての御柱の中で一番長くて太いものが選ばれます。
諏訪大社で御柱祭が行われると、全国の諏訪神社でも「小宮祭」と呼ばれる御柱祭が行われます。
各地の諏訪神社には、諏訪大社から下賜された旧い御柱を境内に建てているところもあります。
なぜ諏訪大社、諏訪神社で御柱が建てられるか、実は理由は明らかになっていません!
御柱が神様の依代となる説や、聖地であることを御柱で示す説などがあります。
平安時代初期には、諏訪大社で御柱祭が行われた記録があり、御柱が建てられていました。
諏訪地域の神社では、諏訪大社を真似て社殿や祠に柱が建てられているのを、稀に目にします。
各地の諏訪神社の御神体は薙鎌
諏訪大社から御祭神を分霊する際、「薙鎌」を御神体として御魂が移されます。
各地の諏訪神社では、この薙鎌を御神体として祀っています。
薙を「凪ぎ」に重ね《雨風を鎮める》という意味や、厄難をなぎ払うという意味があるそうです。
諏訪大社では、薙鎌は神器として様々な神事に用いられます。
御柱祭の前年に行われる「薙鎌打ち神事」では、長野と新潟の県境にある小谷村で、木に薙鎌を打ち付け、神威が及ぶ範囲を示します。
御柱となる木を決める「御柱の本見立て」でも、薙鎌を打ち付けることで、ただの木から神が宿る御柱となります。
古事記に学ぶ御祭神の伝説
※以下、神様の名前の記載は古事記に合わせています!
国譲りを迫る建御雷神 vs 反抗する建御名方神
天照大御神は「葦原中国(地上の世界)は我が子が治めるべきだ」と考え、建御雷神を交渉役に遣わしました。
建御雷神は、高天原から出雲国の稲佐の浜に降り、葦原中国で国造りを行った大国主神に国譲りを迫ります。
大国主神は「息子の八重事代主神にお尋ねください」と言い、事代主神に尋ねたところ、国譲りに同意しました。
建御雷神が「ほかに誰か伝えておくべき者は?」と聞くと、大国主神は「もう一人の息子、建御名方神に」と答えました。
そこへ、国譲りに反対する建御名方神がやってきて、建御雷神に力競べを挑みます。
まず建御名方神が建御雷神の手を取ると、建御雷神の手は氷柱になったかと思えば、剣になりました。
驚き恐れた様子の建御名方神の手を、今度は建御雷神が取り、一瞬でひねり潰して遠くへ投げました。
圧倒的な力の差を感じた建御名方神は、逃げ出しました。
諏訪湖へ逃げた建御名方神。勝負の結末は…?
出雲国から信濃国の諏訪湖まで逃げてきた、建御名方神。
しかし、まだまだ戦い足りない建御雷神は、トドメを刺そうと、諏訪湖まで追ってきました。
建御名方神は「生涯ここから出ません。父・大国主神や兄・事代主神には背きません。葦原中国を献上します。」と誓い、許されました。
建御雷神は雷や剣の神様で、鹿島神宮(茨城県鹿島市)ほか鹿島神社や、春日大社ほか春日神社で祀られています。
まとめ
諏訪神社は全国に約25,000社あり、諏訪大社が総本宮です。
7年ごとに諏訪大社で御柱祭が行われると、各地の諏訪神社でも「小宮祭」と呼ばれる御柱祭が行われます。
御祭神に、建御名方神とその妻・八坂刀売神の2柱を合わせて「諏訪大明神」を祀っています。
諏訪大社には本殿がなく、上社本宮は「諏訪造り」という特有の建築様式で造られています。
諏訪大社4社の境内四隅には、御柱が建てられているほか、諏訪大社に建っていた旧御柱が各地の諏訪神社に下賜されることも。
また、諏訪大社から分霊された諏訪神社では、薙鎌が御神体とされています。
諏訪神社のことを知れば知るほど、参拝がもっと楽しくなります!
ぜひ諏訪神社にお参りの際は、いろいろ注目してみてください。
お読みいただき、ありがとうございました(*´◒`*)