神社めぐりをしていると、
この神様ってどういう神様なの?
どんなご利益があるの?
よく見るこれにはどんな意味があるの?
と疑問に思うことがありますよね。
そんな疑問を解決するため、神社の神様やご利益、成り立ちについてわかりやすく解説していきます!
今回は、航海の神様として古くから信仰されている「住吉神社(すみよしじんじゃ)」をご紹介します。
神社にまつわる知識が増えると、神社めぐりが何倍も楽しくなります。
住吉神社にお参りする機会がある方は事前の予習として、お参りしたことがある方は参拝時を思い出しながらぜひ知見を深めてください!
住吉神社(すみよしじんじゃ)とは
住吉神社の総本社は大阪市にある住吉大社で、日本全国には約2,300社あります。
住吉三神と神功皇后(じんぐうこうごう)を御祭神として祀っており、航海・武運長久・厄除けの神様として約2000年も前から信仰されてきました。
1800年前に海を渡って新羅遠征に出征した神功皇后は、住吉三神に航海の無事を祈りました。
新羅遠征から帰還した神功皇后が、摂津国(大阪)に住吉三神の和魂、長門国(山口県)に住吉三神の荒魂を祀ったのが始まりと言われています。
飛鳥時代に入ると、遣隋使・遣唐使が乗船前に摂津の住吉大社を訪れ、航海の安全を祈願しました。
住吉神社の御祭神とご利益
住吉神社の御祭神は
- 底筒男命(そこつつのおのみこと)
- 中筒男命(なかつつのおのみこと)
- 表筒男命(うわつつのおのみこと)
- 神功皇后(じんぐうこうごう)
底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱を合わせて「住吉三神」と呼ばれています。
海上安全の神様として、海運業や漁師、武家など幅広い人々から崇敬されました。
神功皇后は、第14代仲哀天皇の妃で、妊娠中の身で朝鮮半島の新羅へ攻め込んだ勇ましい皇后さまです。
住吉三神の信託によって、戦勝を確信した神功皇后は、自ら戦隊を率いて新羅の国へ攻め入ります。
船のまま朝鮮半島の山に上陸してきそうな、凄まじい勢いに圧倒された新羅国の王は、戦わずして降伏することを決めました。
その男性顔負けの勇ましさから、神功皇后は戦の神様として崇められるようになります。
また、摂津国の住吉大社のある地は、昔はすぐ近くに海が広がる風光明媚な場所で、歌会も催される《和歌の聖地》でした。
住吉神社の神様は、『伊勢物語』や『源氏物語』にも登場し、文芸にもご利益のある神様として歌人や詩人からも崇敬を集めました。
住吉神社の成り立ち
住吉神社は約1800年前の、総本社・住吉大社と、山口県下関市の住吉神社の創建に始まります。
新羅遠征から帰ってきた神功皇后は、帰途、再び住吉三神からの神託で「摂津国(大阪)に和魂を、長門国(山口県)に荒魂を祀るように」と告げられます。
神功皇后が神託通りに神様を祀って以降、住吉大社創建後は朝廷から格別の崇敬を受ける「二十二社」や摂津国一之宮として、下関の住吉神社は長門国一之宮として崇敬を集めてきました。
住吉大社の伝承によると、創建は西暦211年とされています。
有名な住吉神社
- 住吉大社(大阪府大阪市|摂津国一之宮)
- 住吉神社(山口県下関市|長門国一之宮)
- 住吉神社(福岡県福岡市|筑前国一之宮)
- 住吉神社(東京都中央区佃)
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知っていると楽しい!住吉神社の豆知識
国宝!四棟の本殿が並ぶ住吉大社の「住吉造」
大阪の住吉大社では、「住吉造」という建築様式が採用されています。
屋根の両端 (妻)が正面にくる切妻造で、入り口(妻入り)の階段には屋根がなく、本殿内部は前後2部屋に分かれています。
壁は白、柱は丹塗り、屋根は檜皮葺が特徴です。
住吉大社では、四柱の御祭神に合わせて第一本宮から第四本宮まで、四棟の本殿があり、すべて大阪湾を向いています。
一本宮から第三本宮までは縦に直列並び、第三本宮と第四本宮は並列に隣り合う、珍しい配置です。
この本殿の並びは、海原を行く船団のようにも見え、航海の神様を祀る住吉神社らしい配置になっています。
伊勢神宮だけじゃない!20年ごとに行われる住吉大社の式年遷宮
大阪の住吉大社でも、伊勢神宮と同じように20年ごとに本殿を造り替える式年遷宮が行われています。
住吉大社の式年遷宮は奈良時代から続き、度々期間が開くことはありましたが、1200年に渡って遷宮が続けられています。
最近の遷宮は2009年(平成21年)に行われました。
住吉大社の遷宮は、伊勢神宮のように木材から丸ごと一新するのではなく、塗り替えや修繕を行う《修復》に位置付けられます。
現在の本殿は、江戸時代の1810年の造営で、定期的に修復されながら今も大切に受け継がれています。
住吉三神の名前にある「筒」は星を表す
住吉三神の底筒男命、中筒男命、表筒男命にある「筒」の字は、星を意味します。
昔は、星が航路を決める上での重要な目印とされていました。
海に出る人々は、住吉三神の姿を星に重ね、航海を安全に導いてくれると信じたことでしょう。
福岡の住吉神社の御朱印帳には、夜空に瞬く星が描かれています!
古事記・日本書紀に学ぶ御祭神の伝説
海から生まれた住吉三神
住吉神社の御祭神・底筒男命、中筒男命、表筒男命は、住吉三神と呼ばれています。
海上安全のご利益がある住吉三神は、海から生まれた神様です。
妻・伊弉冉尊(いざなみのみこと)を追って黄泉の国に行った伊弉諾尊(いざなぎのみこと)は、変わり果てた伊弉冉尊の姿を見て慄き、黄泉の国から逃げ帰ります。
黄泉の国で負った穢れを払うために、伊弉諾尊が海に入って身を清めた際、海底から底筒男命が、海の中ほどから中筒男命が、海上から表筒男命がお生まれになりました。
海そのものとも言える住吉三神は、航海や漁業の神様として、海を渡る人々や漁師から特に崇敬されています。
妊娠しながら戦に赴いた日本のジャンヌ・ダルク「神功皇后」
住吉神社に祀られている神功皇后は、お腹に子を宿しながらも果敢に朝鮮半島の新羅へ攻め入った女傑として語り継がれています。
第14代仲哀天皇の頃、熊襲や隼人など、日本各地で大和朝廷に敵対する勢力が起こりました。
しかし、仲哀天皇の妻・神功皇后は「貧しい国内の反抗勢力よりも、富に満ちた新羅を征討すべし」との神託を受け、新羅侵攻を提案します。
新羅遠征に乗り気でなかった仲哀天皇は、神託を無視して熊襲を攻め、戦の途中で早逝してしまいます。
「全ての責任は私が負う」と宣言し、男装に身を包んで新羅遠征に踏み入った神功皇后は、なんと戦乱なしに新羅を降伏させてしまいました!
お腹の中で神功皇后と新羅遠征を共にした第15代応神天皇(誉田別尊)は、八幡宮の神様としても知られています。
まとめ
住吉神社は全国に約2,300社あり、約1,800年前に創建された大阪の住吉大社が総本社です。
御祭神には海から生まれた住吉三神と、神功皇后を祀り、海上安全や漁業、武運長久の神様として庶民から朝廷まで多くの人々に信仰されてきました。
『源氏物語』などの古典や和歌にも登場し、和歌・文芸の神様としても崇敬されています。
住吉神社独特の「住吉造」が有名で、住吉大社の本殿は国宝にも指定されています。
現代においても、古来と変わらず幅広い人々から厚い崇敬を受ける、大変由緒ある神社です。
住吉神社のことを知れば知るほど、参拝がもっと楽しくなります!
ぜひ住吉神社にお参りの際は、社殿や創建の由緒などいろいろ注目してみてください。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました(*゚▽゚*)