走水神社の御朱印帳と御朱印!日本武尊と弟橘媛の愛と悲しい別れ【神奈川】

横須賀市の走水神社(はしりみずじんじゃ)は、日本神話の英雄・日本武尊とその妻・弟橘媛命を祀る神社です。

日本武尊と弟橘媛命は、走水から海を渡って上総に向かう途中で悲しい別れを迎えます。

日本武尊が描かれた御朱印帳はたまに見かけますが、走水神社では、弟橘媛が描かれた御朱印帳がいただけます!

また、江原啓之さんイチオシの女性におすすめのパワースポットでもあります(*゚▽゚*)

名だたる軍人からも崇敬された走水神社の御朱印帳や御朱印、見どころをご紹介します♩

 

走水神社の御朱印と御朱印帳

走水神社の御朱印

走水神社の御朱印

走水神社でいただける御朱印は、こちらの通常御朱印のみでした。

走水の地名は、船がスイスイ進むことから日本武尊が「水走る」と言った説や、神社脇から湧き水が豊富に湧き出る様子を「走水」と表したという説があります。

御朱印の文字も、淀みなく流れる水を彷彿とさせる滑らかな筆跡ですね!

  • 初穂料:300円

 

走水神社の御朱印帳

走水神社の御朱印帳

走水神社の御朱印帳には、日本武尊の妻・弟橘媛の入水が描かれています。

走水から房総に向けて船を出した日本武尊の一行は、海上で嵐に遭い、今にも難破せんという状況に陥ります。

これを海の神様の怒りだと考えた弟橘媛は、自分の身を持って神の怒りを鎮めると決意し入水しました。

文字通り、弟橘媛の捨て身の行動で、すぐに嵐はおさまり、日本武尊は無事に房総に辿り着くことができました。

御朱印帳の、弟橘媛の髪や着物がふわっと流れる様が、まさに今、海の深淵に沈んでいくところのようで、胸が詰まります。

  • 初穂料:1,200円

 

走水神社で御朱印と御朱印帳がいただける時間

走水神社

走水神社の御朱印や御朱印帳は、境内右手の授与所でいただけます。

他の神社に比べると、御朱印授与の終了時間が早いのでご留意ください!

  • 御朱印授与時間:午前9時〜午後3時
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走水神社の御祭神と歴史

走水神社の御祭神とご利益

走水神社

走水神社の御祭神は以下の2柱です。

  • 日本武尊
  • 弟橘媛命

日本武尊は第12代景行天皇の子で、若くして西国の熊襲兄弟を征伐します。

西国から帰るとすぐに東国の蛮族討伐を命じられ、東へ向けて出発しました。

途中、焼津の地で、相模国の国造の策略に嵌り火攻めに遭うも、日本武尊の叔母で伊勢神宮の斎宮だった倭姫命から授かった雨叢雲剣(=草薙の剣)で難を逃れます。

妻の弟橘媛命も、その危険な旅に同行していました。

走水に到着した日本武尊らは、この地に旅の御所(=仮住居)を構えます。

村民から歓待され、崇め慕われた日本武尊は、自分の冠を置き土産に残し、房総へ出発していきました。

その冠を大切に石櫃に納め、地に埋めて、その上に社殿を建てたのが走水神社の始まりです。

その後、日本武尊と弟橘媛命は、海上で悲しい別れを迎えます。

海神の怒りを鎮めるべく、海に身を投げた弟橘媛命。

危険な旅路も共に乗り越えてきた妻との別れは、日本武尊にとって大変辛いものでした。

東国を平定した日本武尊は、碓氷峠(※諸説あり)から走水の方を見下ろして「吾妻はや…(我が妻よ)」と3度呟きます。

東国を「あずま」と呼ぶのはこれに由来すると言われています。

入水した弟橘媛命の櫛は7日後に海岸に流れ着き、御所跡にその櫛を納めて橘神社が創建されました。

また、弟橘媛命の着物の袖が流れ着いた場所は、袖ヶ浦と呼ばれています。

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走水神社の歴史

走水神社の創建時期は明らかになっていません。

伝承通り、日本武尊の冠を地中に埋めて、その上に社殿を建てたのなら2世紀ごろの可能性もあります。

日本武尊らが滞在した御所跡には、弟橘媛命の櫛を納めて《橘神社》が祀られていました。

橘神社が建っていた場所は、明治18年に軍用地として買収されたため、走水神社に合祀されました。

境内には、弟橘媛命の侍女を祀る《別宮》もあります。

弟橘媛命の東征の旅は、走水で終わりを迎えましたが、今はこの地で夫婦2人、永遠の時を静かに過ごしています。

 

走水神社ってどんなところ?

鳥居の向こうに広がる東京湾!社殿からの綺麗な景色

走水神社

走水神社の社殿は、階段を登った少し高いところに建っています!

階段を登り終えて、ふうと一息吐きながら振り向くと、眼下には鳥居越しに東京湾が広がります。

社殿付近は、高い木に囲まれて木陰になっている分、より一層、海のきらめきが綺麗に見えます!

日本武尊と弟橘媛命はこの海を越えて、房総へ行こうとしました。

目の前に広がっている海が静かで、美しく見えるのは、弟橘媛命が今も海神を鎮めてくれているからなのかもしれません。

 

東郷平八郎や乃木希典、大物軍人らによる「弟橘媛命の記念碑」

走水神社

社殿から、さらに上に続く階段を登っていくと「弟橘媛命の記念碑」が建っています。

東郷平八郎、伊東祐亨、乃木希典など、海軍・陸軍大将クラスの軍人たち7人が発起人となり、明治43年に建てられました。

表に刻まれている文字は、明治天皇の第六皇女・昌子内親王によるものです。

ブーメランのような、ユニークな形をしているこの石碑には伊豆石が用いられ、高さは4.2mあります。

走水神社

裏面には、弟橘媛命の忠誠と真心を

女性の手本とするだけでなく、男子の規範とすべきもの

ー(走水神社 公式HPより引用)

と讃え、記念碑として後世に伝えると言った旨の解説文と、発起人7名の名が刻まれています。

海軍・陸軍将校らが、未来に生きる私たちに伝えたかったメッセージを受け取ってください!

 

日露戦争でロシア軍が使用した機械水雷

走水神社

境内の階段下に鎮座する、見るからに爆弾のようなこの丸い物体。

これは、日露戦争でロシア軍が実際に使用した機械水雷です!

まさか、まさか本当に爆弾とは…!Σ(‘◉⌓◉’)

この機械水雷は、水中で戦艦が接触すると爆発し、日本海軍を大いに苦しめました。

弟橘媛命の碑建立の際に、発起人の一人で当時海軍中将だった上村彦之丞が、平和祈念のため走水神社に寄贈しました。

また、境内には「弟橘媛命 舵の碑」も建っています。

走水神社

舵というと、握り手が飛び出た丸い形の舵を思い浮かべますが、こちらは和船の舵だそうです。

船のお尻の方から、この舵を海中にニュッと突き出して舵取りをしていました。

弟橘媛命の神徳を頼りに、海上安全を願って昭和50年に建てられました。

海にゆかりのある神社ならではの記念碑も、ぜひじっくりご覧ください!

 

日本武尊が過ごした御所の土は持ち帰りOK!

走水神社

走水神社では、東征の際に日本武尊が滞在した御所と、橘神社の跡地の白砂がいただけます。

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砂を納める袋は、社務所でいただけます。

「御砂倉」と書かれたこの小さな社の扉をパカッと開けると、砂とスプーンが入っています。

走水神社

お賽銭を納めて、人さじくらいの少量をありがたくいただきましょう。

私は、持ち帰った白砂は、厄難避け・家内安全を願って家の前の土に撒きました!

お守り袋に入れて持ち歩いてもいいかも♩

 

走水神社の基本情報とアクセス

走水神社

走水神社の基本情報

  • 住所:〒239-0811 神奈川県横須賀市走水2-12-5
  • 電話番号:046-844-4122
  • 拝観料:無料
  • 駐車場:あり
  • 御朱印授与時間:午前9時〜午後3時
  • 拝観所要時間:約30分

 

走水神社へのアクセス

◎お車の場合

横浜横須賀道路「馬堀海岸IC」下車 約20分

◎電車・バスの場合

京浜急行「馬堀海岸」駅よりバス 観音崎行き → 「走水神社」下車 徒歩約2分

 

おわりに

走水神社

女性にも人気の、走水神社をご紹介しました!

御朱印帳や境内には、日本武尊を守るために海に入った弟橘媛命の勇気や忠誠が、今も形となって残っています。

海にまつわる伝承が残る走水神社ならではの見どころもたくさん!

ぜひ、走水神社で海の香りを感じながら、日本武尊と弟橘媛命が過ごした時代を想像してみてください♩

最後までお読みいただき、ありがとうございました(^人^)

 

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